私の建築観


中学校に入学した時、「お前は将来、何の仕事がしたいのか」と先生に聞かれ、その時「将来は建築の設計がしたい」と答えた事をはっきりと覚えています。
社会に出ると何の迷いもなく(何も考えなかった?)、まずはヘルメットをかぶって現場経験を5年、それから設計事務所に5年勤め、10年目に独立出来たらという目標通り何とか10年目で周囲の応援も得て独立し、現在に至っております。
思い返すと、最初の5年間で現場を経験出来た事は私にとって大きな宝物であると思っています。
今も当時も施工方法は基本的には変わっておらず、機械化・乾式化は進んだものの ”ものづくり”のベース(土壌)自体は何も変わっていないと言える気がします。
高層ビルを建てる上での技術は別として、あえて変わったと言えば、<現場の雰囲気がかなり紳士的になった事、現場内がきれいになった事、現場に寝泊りしなくなった為、飯場が姿を消した事>、などの方が目につくのではないかと感じています。
私が設計の世界に入り、その後独立して感じることは、建築は造形である」という観点から、基本的には「美しくあれ」という事です。
それは、形ばかりではなく、設計図を描く段階においては
<意匠上の各納まり>
<ディテールをいかにスムーズに納めるか?>
<構造上 鉄筋が混み合わず、コンクリートの充填に問題がないように納まっているか?>
<電気・給排水設備をその後のメンテナンスをしやすいようにいかに納めるか?>
等についても言えることです。
スケール1/100~1/30位の小さな図面の中でもその点をイメージして、作図していく事が大切です。
ですから、意匠設計者は構造、電気、機械設備に「何しろ興味を持って」接してゆくべきと考えています。
少しでも設計図の段階で、施工図に近づいた図面であることも「美しく描く」という事に繋がるのではないでしょうか。
設計上で大きく変わったことは、何といっても、製図板で図面を描くという代わりにパソコンを利用しCAD化した事です。
これには、多くの設計者が素晴らしいことだと感じつつ、今だに戸惑いを隠せません。
頭の中では、描けても実際パソコンを使う事に不慣れな方も多いようです。
とは言え、世の中の流れがIT化であれば、コンピューターソフトを自分なりに使っていける様、日々 格闘していかなくてはなりません。時には、本業以上につらいものです。
いよいよ、施工の段階では、実際に思い描いたものが形となってゆくわけですが、各施工段階ではまず一番の優先順位は構造です。
現場では、実際予測通りにはいかない事も多々ある為、
―例えば、構造躯体が施工図通りに出来ていない等― 意匠上どうしても納まり具合の芳しくない部分が出てくるものです。
その場合は、まず躯体の事を考え、その時に最善と思える方法で処理してゆく、施工者の間違いをせめるのではなく、あえて自分が先頭に立って考え、対処してゆくことに大きな意味があると思います。
工事中に於いても、基本的に自分が先頭に立つという事(本来は施工者が先頭でしょう)は、当然の如く精神的に厳しいわけですが、その為には日頃より、広範囲な部分に興味を持ち参考記事などを集めるなど、自分の資料作りも大切です。と、言うより楽しい事です。
(多少、病?気かな)
工事が始まる時、そのように出来ないのは判っているのですが、
まずは「100点を目指そう」と施工者にお願いし、完成した時は、70点、80点であっても、『ほど良い脱力感』を感じられた時は、「美しく出来た」のではないかと思っています。

反省:

 
 ものづくりには、大きな金額がかかり、多くの人が携わる為、それぞれの「思い」も様々なところが、難しいところです。
 『ほど良い脱力感』を味わえた建築はそう多くはないのが実情ですが・・・・・
 それを目指しています。

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